江戸と羽村を結ぶ
羽村堰は、玉川上水の出発点。多摩川の水を取り入れる堰はかつては「羽衣の堰」とも呼ばれていました。
承応2年の建造以来、明治31年、大正12年と改修が重ねられ、現在も東京都の上水道取水口として重要な役割を担っています。
玉川上水は、水が自然に流れ落ちる力によって江戸まで水を引いています。
武蔵野台地の先端に位置する江戸まで水を流すには、標高が高く、十分な水量があるところから引き入れる必要があります。
江戸のまわりの小さな川では必要な水量が確保できず、また自然な水の流れで配水するためには標高も足りません。
羽村は標高も高く、多摩川が南岸の草花丘陵の尾根にぶつかり対岸に向かって水が集まる地形になっていたため、取水口として選ばれたと考えられます。
玉川上水は多摩川本流から直接取水し、いくつもの段丘面を越えて武蔵野台地の最上面に導かれました。
そのために、多くの分水や、台地上にある江戸城をはじめとした江戸のまちへの配水が可能になったのです。
中里介山先生のコレクション
館の説明によると中里家より町に寄贈された中里介山先生の集められた石仏です。
いつどのようなルートで集められたか、詳しい資料がないので展示のみです。
羽村市郷土博物館の屋外展示の横にそっと並んでいます。
静かな、静かな、空間です。
中里介山作先生の『大菩薩峠』(だいぼさつとうげ)は、1913年〜1941年に都新聞・毎日新聞・読売新聞などに連載された41巻にのぼる未完の一大巨編。
羽村は自然が豊かです。カタツムリ(まいまい)も大きくゆったりとしています。殻の大きさは5cm程度。
フリー百科事典『ウィキペディア『大菩薩峠』
(中野史友会資料より抜粋)2009.5.24