
善福寺の数あるお墓の中でも一際目立っていました。デザインも魅力的です。
歌碑の下に刻まれた「愛の讃歌」の歌詞を目で追いながら歌っていました。
コンサートに行った事はないけれど、誰もが知っている「愛の讃歌」です。
正面の花入れは何方のデザインでしょうか。個性的です。
天長元年(824)真言宗の開祖空海(弘法大師)の創建と伝える古刹。
現在の山の手線内で浅草寺(626年)に次ぐ古刹です。
善福寺は開創以来、真言宗であったが、鎌倉時代当時の新興宗教として浄土真宗の教えが広まり、中でも親鸞によって開創された浄土真宗は迫害を受けながら優勢となり地方によっては戦闘集団に成長し、善福寺の当時の住職了海は熱烈に帰依し、宗旨を浄土真宗に改宗しました。
境内には銀杏の老巨木があります。東京都内最大の銀杏で、樹齢は推定750年。
親鸞上人が寺を去る時に持っていた杖を土にたてところ根付いたものといいます。
(ちなみに二位は、雑司ヶ谷の鬼子母神前にある銀杏の木です。)
他に、福沢諭吉翁・妻 阿錦さんのお墓があります。
港区元麻布1−6−21 住職は麻布さんです。
幕末には最初のアメリカ公使館となり、安政6年(1859)6月8日から公使タウンゼント・ハリス、通訳ヒュースケン等が駐在しました。(安政の仮条約調印以後、明治8年(1875)まで)
なお、ヒュースケンは万延元年(1861)1月15日、攘夷派の鹿児島藩士らに襲われ、翌未明に死亡。
墓は光林寺にあります。
そのころより後に三井物産創始者の益田孝氏や古河市兵衛氏、福沢諭吉氏が当寺に出入りし、明治8年12月8日まで公使館として使用されました。
タウンゼント・ハリスの記念碑は昭和11年(1936)日米協会によって建てられました。
柳の井戸
麻布山善福寺の総門内右手にあります。
自然に地下から湧き出る清水です。この湧水は都内でも数少ない湧水のひとつです。
弘法大師が土地の人の為に鹿島大明神に祈願して柳の下に錫丈(しゃくじょう)をつきたてたところ清水が湧き出したと云う。
また、ある聖人が柳の小枝で地面を払ったら湧き出したとも伝えられています。
また、大正12年の関東大震災や昭和20年の空襲による大火災の際に、この良質な水がどれほど一般区民の困難を救ったかを、心にとどめ保存と利用にいっそうの感心をはらうべきものと思われる。(柳の井戸、説明より抜粋)
(中野史友会資料より抜粋)2008.2.24