|
|
Allergie I Telome I Special I FAQ I HOME |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
![]() |
![]() |
|
法服寺/天台宗(853年)→法華寺/日蓮宗(1283年)→円融寺/天台宗(1698年) 仁寿3年(853)慈覚大師の開基(法服寺/天台宗)その後、弘安6年(1283)日源上人により日蓮宗に改宗(法華寺と改称) 吉良氏、徳川氏の保護を受け境内3万坪、坊舎18を有した。が不受不施(他宗からまたは他信者から何物も受けず施さずという、唯自己と信仰を同じくする人とのみ生きて行こうとした)を主張した為に幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)に再び天台宗に改宗「経王山 円融寺」と改称し、比叡山末寺となった。 釈迦堂 唐様建築に和様の美を取り入れた単層入母屋造りの清楚で優美な建物です。 室町時代応永年間(1400年前後)の建造、都内で最古の木造建築。 仁王門 木像金剛力士像は永禄2年(1559)鎌倉の権大僧都大蔵法眼の作。江戸末期頃、「碑文谷の黒仁王さん」と呼ばれ江戸庶民の信仰を集めた。 梵鐘 寛永20年(1643)の鋳造。郷土出身の名僧日長の寄付によるものです。年末大晦日には108つの鐘の音と共に新年を迎える事が出来ます。 碑文谷という地名の起源2説 1)「新編武蔵野風土記稿」に「村内鎌倉古道の傍らに梵字(古代インドの文字)を刻せし碑たてりのゆえ此名の起れりと云う」 とあり、現在碑文谷八幡に収蔵されている碑文石のことらしく…とある。 2)碑文谷は「旧称ヒモノヤ(桧物屋;曲物容器)なり」と云われている。 桧物屋とは桧材(薄皮材)で容器造りを業とする人が古い時代にこの地に住んでいたからだと云う。 桧物屋に碑文谷の文字をあてはめたのは仏僧ことに円融寺(法華寺)開創の日源上人以来法華寺の所在名を尊厳継続の上から、 この文字(碑文谷)を当てて使ったのだろうと想像する説。 |