パレスと呼ばれる建物は久彌宮御常御殿と云われたもので、久彌宮邸本館に接続して、現在の図書館付近に増設され、大正11年(1922)3月起工、
大正12年の関東大震災を経て大正13年(1924)12月完工。
故皇太后は大正13年(1924)1月ご成婚の折り、この本館車寄せより、宮中に向かわれた。
総建坪128坪、千鳥入母屋造りの純日本建築で、台湾産欅、楠、桐、桧、屋久杉などが用いられている。
昭和23年(1948)聖心女子大学設立に際して、土地、建物を含めて購入され、港区白金三光町から移転して来た。
現在は茶道、華道、書道、日本画、筝曲、鼓能楽と学生の情操教育の場として使用されています。
(中野史友会資料より抜粋)2005.3.10
久彌宮邸 車寄せ
故皇太后は大正13年(1924)1月ご成婚の折り、この本館車寄せより、宮中に向かわれた。
大きな木に囲まれた車寄せは、銅葺きの重々しい造りです。
足元の馬酔木は、馬車を停めた時に馬が食べないようにでしょうか?色々とイメージが膨らみます。
(中野史友会資料より抜粋)2005.3.10
久彌宮家(くにのみや)
伏見宮邦家親王の第四王子朝彦親王を祖とする宮家。
朝彦親王は始め一乗院に入室して尊応入道親王と号した。のち青蓮院に転じ尊融と改名。
還俗(げんぞく;一度僧や尼になった人が、普通の生活に返る)して朝彦と改めてからは、中川宮、賀陽宮(かやのみや)と称した。
公武合体運動に加わったため、明治元年(1868)8月広島藩に幽閉された。
その後許され、明治8年(1875)4月に、明治天皇の特旨で一代宮として同年5月8日に仁孝天皇(120代)の養子に復し、同月20日に久彌宮と称した。
二代邦彦王は近衛師団長、軍事参議官などを歴任、のち陸軍大将。
その第一王女良子(ながこ)は昭和天皇の皇后。
昭和22年(1947)三代朝融(あさあきら)王のとき、皇室籍離脱久彌宮家となる。

久彌宮邸一階の板戸
描かれた鶴やゆりは大家の作と思われます。
把手のデザインは菊の花を後ろから見てみます。
次ぎの間のふすま絵にはゆりの花が咲き誇っています。
(加湿器に違和感がありますが)
2005.3.10
久彌宮邸一階のピアノ
美智子様がご成婚前に練習されたピアノとの説明がありました。
天井の造りが見事です。各パーツには日本画が描かれていたようですが、今は別の場所に保管されています。
カーテン越しに見えるお庭がとってもステキでした。
2005.3.10

久彌宮邸ニ階の床
モザイク模様が綺麗に残っています。寄せ木細工のような芸術的な床です。
2005.3.10