
半蔵は慶長元年(1596)11月14日、55才で清水谷で死去し、西念寺に葬られ墓も建てられた。
半蔵所持の槍は本堂に保存されている。
岡崎信康
徳川家康の長子。家康は織田信長と手を結ぶ為、信康に信長の娘 徳姫を迎え入れた。
しかし信康は信長の威を鼻にかける徳姫を好まなかった。徳姫も信康の態度に不満を持ち、信長に訴えた。
そこで信長は天正7年(1579)7月16日、家康に対して信康を殺せと要求してきた。
武田勝頼(甲斐国)を当面の適としている家康は、信長との間に亀裂が入る事をさける為に、この要求を拒否出来なかった。
家康はやむなく9月15日、遠州二俣城において、21才だった信康に切腹を命じたのである。
信康自刃の時、服部半蔵は介錯(かいしゃく)役だったが、信康の無念無惨な最後を見るにしのびず、刀を投げ棄てて泣いて卒倒したと云う。
遂に介錯は出来なかった。
半蔵が信康の遺髪を埋めて手厚く供養した、「岡崎信康供養碑」は西念寺にあります(信康の墓は岡崎市清竜寺にあります)
私は「服部半蔵と西念寺」より「服部半蔵と岡崎信康」の伝わっている状況と歴史的背景と苦悩に思いを寄せました。ましてや「槍」には全く興味が湧きませんでした。
信康は21才、徳姫はそれより年下、現代の同年代とオーバラップさせて考えるとどこ迄現状を理解していたのだろうか。
(中野史友会資料より抜粋)2005.10.23